因幡がやりたかったこと

 人生の意味とかを饒舌に語れる人が少ないように、因幡だって、自分のやりたいことを明瞭簡潔に語れるわけではないし、自分で正確に把握し切れているわけでもない。だから、「私は、これを目標に、うさぎハウスの活動をしていたんです」なんて、うまく説明することは難しいよ。

でも、まぁ、最初を振り返れば、まず、バニーになりたかった。でも、これは、一般的に言われている(アダルトやセクシーなイメージとしての)バニーガールを目指していたのではなくて、私は、あの衣装に「着ぐるみ」「ハーフアニマル」に近いイメージをもっていて、「かわいいうさちゃん」に変身してみたいという願望だったのです☆
 だから、綺麗なお姉さんとか、カッコイイお姉さんになれなくていいし、芸能人みたいに整った美少女でなくてもよい、ふつうに可愛くて親しみやすい、ちょっぴりロリっぽい雰囲気のあるバニーちゃんになれればOK!って感じでした。
 自分がそういうタイプであったかどうかということは棚にあげておくとしても(笑)、「なりたいイメージ」「自分が見る側だったら好きであろうバニーのイメージ」は、そんな感じでした。

 でも、自分の思うバニーイメージと世間のイメージにはやっぱりギャップがあって…。因幡は、いわば「自己正当化」(?)のために、活動していくことになります。自分と同じように(仕事だからやむなくではなく)好き好んでバニりたいと思う女性は他にもいると証明したくて仲間を募ったり、そういう娘達がいることをアピールするためにサークル活動をしたわけです。
 だから、正直、「AVにも出てます〜」「裸もOK〜」みたいな娘は、仲間になってくれなくてもいいやー、とか思ってました。あ、念のため、そういう商売の娘と友達になるのが嫌とか言っているんぢゃないですよ。ただ、仮に、風俗で働いて風俗情報誌に裸の写真を出している娘がいて、その娘が「すごくまじめに」バニーをしたいと思って参加してくれたとしても、周囲は、その2つを結びつけて、「簡単に脱ぐような娘しか、バニーしたがらない」「バニーを着たがる娘は風俗をやるようなタイプだ」と解釈してしまいがちだったりします。
 自分としては、「バニー=夜の商売」とか「バニー=ふしだら」みたいな、そういうイメージがつくのは、やっぱり嫌だったかなぁ…。セクシー路線とバニーを強引に切り離したいとか思って、やっきになっていた時期もありました。たとえば、「ランジェリーパブとバニーパブは、(たとえ世間が同類に扱ったとしても)それは絶対に違う!」とか「ビキニ撮影会とバニー撮影会は、同列に論じてはいけない」とか☆ まー、因幡も若かったんですねぇ(笑)
 セーラー服と聞くだけで、いやいや、巫女と聞いたってシスターと聞いたって、Hだと思う人は思うんですから、どんなものでもHに解釈してしまう人がいるのはしょーがないことなんだ、と、悟りを開けるようになったのは、ごく最近です☆

 ちょっと話がそれちゃったけど、基本的には「バニーを着てみたかった自分」が、決して変わり者でないこと(女性には誰でも変身願望があって、バニってみたい人もたくさんいるはずということ)を確認証明する作業だったので、根本は「着てみたい女性」の気持ちがメインでないといけない、と。
 バニー服を着ている女性が好きなのか、バニー服そのものが好きなのか。冷静に後から分析するに、やはり、「はじめに衣装ありき」だったわけです。
 もともと因幡は、自分のバニー姿を他者に見せたくてバニーコスプレしたわけではなくて。衣装が欲しい(着たい)から入手して、周囲が見たいというからコミケで着て見たら、どうもバニーを着たい女性というのが奇異に写るらしいと気づいてしまって…。へんだなぁ、バニーを着てみたいって女性は、潜在的にもっとたくさんいるはずなのに、どうして表層に出てこないんだろうと。いわば、仲間探しと世間改革だったんですね。だから、自ら好んでバニることが一般化するように世の中が動けば、因幡の中では、それで整合性は取れるのです。
 極論すれぱ、自分が着てなくてもいいし、自分があれこれメディアに顔を出すことも必要なくて。無理にバニー仲間を束ねたり固める必要もなくて。自らバニーしてみたい女性達が確かにいる、その脈動を感じられる位置にいて、そういう人たちのお手伝いをできれば、自分としては満足かな〜みたいな心境です☆